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求人応募前の豆知識。戦後の風俗が今の安全な業界に変わるまで

昭和の町並み

風俗の男性求人に応募するなら、業界のことを知っておいて損はありません。

現在の風俗店はデリヘルが圧倒的多数ですが、昭和時代、終戦直後はもう少し様子が違っていました。

 

目次

戦後の性風俗はアメリカ軍兵士のために作られていた

 

終戦直後の性風俗は、国が公認した売春宿が始まりです。

特殊慰安婦設備協会(PAA)というものが設立されて、警視庁がアメリカ進駐軍兵士のための売春宿が作られました。

つまり、外国人のために風俗ができたということ。しかし、これは「兵士によって日本人女性の貞操が汚されるのを防ぐため」という目的があったそうです。

 

しかし、性病の蔓延し、また兵士の家族などから反対があったことから、半年も経たずに潰れてしまいます。

そして、働き先のなくなった慰安婦たちは、町中で街娼として商売するようになります。これは「パンパン」と呼ばれていました。

女性たちが町中で好き勝手風俗の商売をしていては、風紀上の悪影響があります。そこで、警察庁は地図上の一部地域を赤線で囲んで、そのなかでだけ売春営業を黙認することにしました。これは「赤線地帯」と呼ばれています。

しかし、戦後10年の1956年に売春防止法が制定されます。これによって、黙認されていた売春も、完全に規制されることになりました。

 

ストリップ、トルコ風呂、ピンサロなど。1960年代から大衆向けの風俗が誕生

 

売春防止法が制定された1960年前後、人々が集まった性風俗店は「ストリップ劇場」です。

大衆娯楽として人気を集めたストリップでは、ショーの幕間にコントなどの演芸舞台も設けられていました。実は、「萩本欽一」や「ビートたけし」などお笑い界の大御所も、元はストリップ劇場でコントをしていたそうです。

この時から、以下のような「売春行為を行わずに性的欲求を満たす風俗店」が増えていきます。お店の数が急増し、競争が激しくなった時代です。

 

・ソープの原型となる「トルコ風呂」

・今でもお店が存在する「ピンサロ」

・本番行為を行う「本サロ」

 

ただし、本番行為は摘発の対象です。警察が取り締まり、風俗店がその目をかい潜るというイタチごっこはこの時から行われていたようです。

 

1970年代は地方にも風俗街が登場、トルコ風呂全盛期の時代

 

1970年代頃に自動車が普及することで、都市圏だけでなく地方でも巨大性風俗エリアが登場します。

そのほとんどが、ソープの原型となるトルコ風呂。1975年になると、トルコ風呂の店舗数は全国で1200店、トルコ嬢は約17,000名にもなります。

当初は本番行為によって何度も摘発されていたものの、徐々に黙認されるようになりました。

 

1980年代にはさまざまな風俗店が登場、そして一斉に規制。男性も女性も働きやすい業界に

 

1980年代以降、風俗店のバリエーションがいっきに増えます。

 

・ノーパン喫茶

・ラブホテルでトルコ風呂のサービスを行うホテトル

・除き部屋

・愛人バンク

・テレクラ

・個室ビデオ

・ファッションヘルス

・性感マッサージ

・イメクラ

 

また、この時から学生やOLなど、プロの風俗嬢ではない一般の女性も風俗界に参入するようになります。

 

1980年代以降はさまざまな風俗店が好き勝手やっていた時代ですが、1985年に大きな転機を迎えます。

それが「新風俗営業法」の施行です。午前0時以降の営業禁止、営業許可を届け出なければならない対象の拡大など、規制がいっきに強化されます。

法律の改正、またより低価格で充実したサービスを受けられる風俗店が増えたことから、以前は大人気だったソープやストリップ劇場などは激減することになりました。

 

目まぐるしく変わっていった戦後の風俗。そのなかで確かなことは、より安全な業界に変わっていったということでしょう。

現在はさらに法改正が進んでいます。男性も女性も、安心して働くことができます。

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